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佐野陽子ゼミナール同窓会は、慶応義塾大学商学部「佐野陽子研究会」所属の卒業生の交流の場として発足しました。

佐野先生からのメッセージ

2018年6月12日 
同窓会の皆さんから体験談を!
 佐野陽子ゼミナール同窓会は、来年で50年を迎えようとしています。三田会所属の恒常的な組織です。卒業生は25期636名にのぼりましたが、物故者が18名います。そして住所がわかっている者は512名です。

私は多彩な皆さんの個人史に興味があります。1人ずつ話をじっくり伺いたいのですが、あっという間に87歳になりました。できるだけたくさんの方の自分史を知りたいのですが、時間と空間に限りがあります。そこで、ゼミ同窓会のホームページを利用して、皆さんの体験談を集めていただければとても嬉しく思います。

去る6月9日(土)に第13回総会・懇親会が開かれましたのでその挨拶のときにも申しましたが、ここに広く全会員にお伝えしたいと思います。

(注)皆様からの自分史投稿が可能になり次第、別途HP、メール等で連絡を
   差し上げますので今しばらくお待ち願います(HP委員会)
2018年2月5日 
浅草の奥の深さ
 結婚して浅草に住んで64年。齢をとるほどに時間の経つのが速いのは不思議千万。定年後などは時間がたくさんあるのに、若い時よりどんどん速く経つのは不思議でなりません。その短い時間を使って、浅草でもあまり知られていない奥の方を探索してみました。ゼミ同窓会の江原晴郎さんと森下恒子さんとグループをつくり、1年半ばかりかかって小さな本をまとめました。「奥浅草」と言って、昔は吉原遊郭や山谷騒動で鳴らした地域です。江戸時代からの歴史があり、東京市の時代にはオモテの浅草と一緒に「浅草区」と呼ばれていたところです。
『奥浅草 地図から消えた吉原と山谷』(佐野陽子・江原晴郎共著、森下恒子編集、サノックス、2018年1月20日発行、1,000円+税、アマゾン通販)
この本のポイントはつぎのようなものです。
*350年前の地割が残っている吉原遊郭跡。
*徳川時代の文化の中心。おもてなしの原点ともいえる吉原。*江戸-東京の「縁の下の力持ち」、さらに高度経済成長をささえた山谷。
*奥浅草ゆかりの人々と「奥浅草特区」設立の提言。
この奥浅草地区は、江戸時代の裏方として歴史が長いため、社寺が多く、名所が残っています。また、吉原遊郭は現在のソープランドまで含めると、ちょうど400年の歴史があり、跡地は歴史的遺構といえるでしょう。さらに、江戸期に栄えた水路が埋め立てられましたが、多くは暗渠として残っています。宣伝ではありませんが、歴史と地理の好きな人はぜひこの地をのぞいてみて頂きたいと思います。

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佐野陽子ゼミナール同窓会